2011年10月18日火曜日

「自炊」の法律学(2)---「自炊」代行業

 前回は、著者が執筆した本を出版社が編集・製本して流通させ、やっとのことで書店などに並んだ本を、読者が買うそばからそれを裁断し「自炊」してしまうという何とも不思議な状況についてお話しました。
 確かに、本や雑誌を解体して裁断するというのは、本好きの人間にとってかなりハードルの高いことかもしれません。しかし、住宅事情にもよりますが、本の所蔵スペースが限られている人からすれば、とても重要な選択肢の一つだといえます。
 もちろん、本や雑誌の裁断は、これらを自ら購入して自分のものとしている以上、これらをどう使おうと持ち主の自由です。
 一方、本や雑誌の電子化はどう考えればよいでしょうか?これらの電子化は、著作権法上は「複製」となります。複製というかたちで利用するには、通常は複製権を有する著作者の許諾がなければなりません。
 ただ、これには法律上例外があります。すなわち、「私的使用」を目的とする複製については、このような許諾を得なくとも複製が可能となっています。そのためには、まず「個人的・家庭内」などの限られた範囲内で複製が行われること。また、複製はそれを使用する者が自ら行うこと、が必要です。
 したがって、自分で本や雑誌を買ってきて、自分の手元で一連の「自炊」作業を行うのであれば基本的に「私的使用」の範囲で理解することができます。当然、著作権法の問題になることはありません。
 しかし、「自炊」はページ数が重なれば、かなりの労力が要求される上に、きれいにスキャンするにはいくつかコツがあるようです。そうなると、こうした面倒な作業を代行する業者が現れてきます。最近では、本や雑誌を所有者から預かり、これを有料で電子化する業者が増えてきました。
 ここで問題となるのは、複製はそれを使用する者が自ら行わなければならないとする私的使用の条件との関係です。
 結論から言えば、代行業者に依頼する顧客がきちんと業者を管理・監督し、自分が預けた本や雑誌の電子データを勝手に保存したり、他に流用したりといった不正を行わないようにすることを条件に、これらの業者の存在を認める余地があると思われます。(おわり)

「自炊」の法律学(1)---「自炊」そのもう一つの意味

 「自分で飯を炊くこと」や「自分で食事を作ること」を、通常、「自炊」と呼んでいます。しかし、この言葉には、最近、もう一つの意味が付け加わり解されるようになりました。
 そのもう一つの意味とは、「本や雑誌をスキャンして(画像として取り込み)、電子化すること」。今、巷では電子書籍が何かと話題ですが、この「自炊」という言葉も、これとの関連で急にクローズアップされてきました。
 「自炊」は「自吸い」に由来すると言われています。かつて、アーケード・ゲーム(昔、ゲームセンターなどで置かれていたテーブル・ゲームのこと)が全盛の頃、その基盤に記憶・保存されているゲームのプログラムが入ったROMデータを特殊な機械を使ってPC(パソコン)へと「吸い出し」、自らエミュレータというソフトウェアを用いてPC上にそのゲームを再現する一連の方法を「自吸い」と呼んでいたようです。
 現在いうところの「自炊」行為も、本や雑誌の内容を画像として取り込むことを通じ、その内容を「吸い出している」ことには違いなく、これまでの「自炊」と類似しているといえなくもありません。
 当然のことながら、プログラムは著作物であり(著作権法10条1項9号)、そのROMデータをPCに「吸い出す」行為は複製(同法2条1項15号)に当たり、そのプログラムを創作した人の複製権(同法21条)を侵害することになるでしょう。仮に、この行為が私的使用のための複製(同法30条)の範囲で捉えられるとしても、多くの場合、使用許諾契約においてROMデータの「吸い出し」行為は何らかの形で制限されているはずですから、とても適法な行為とはいえないものです。
 実は、「自吸い」転じて「自炊」は、当初は全くのアンダーグラウンドな用語だったわけです。
 いま、本や雑誌をスキャンして、電子化する人が大変増加しているのだそうです。アマゾンという通販サイトでは、書籍だけではなく家電製品やステーショナリーなどを取りそろえているのですが、最近、ここで圧倒的な売り上げ誇っているのが、裁断機とスキャナなのだそうです。裁断機は「自炊」のために本や雑誌を裁断するためのものであり、スキャナは裁断した後の本や雑誌を画像として取り込むためのものだということは、容易に察しがつきます。(つづく)

2011年10月10日月曜日

コトがたり:Fetch

 頼まれて、久しぶりにあるホームページのメンテナンスすることになった。しかし、先日新調したPC(MacBookAir 11inch)には、いまだFTPクライアントをインストールしていない。すでにソフトのお目当てはあったが、すこしネットで探してもみた。だが、WIndows用、Mac用いずれも思ったより種類は多くはない。
 詳しくは知らないが、ブラウザ・ソフト等でFTPクライアント機能を備えるものが出てきたのかもしれないし、そもそもブログやツイッターが全盛の現在、いわゆるホームページで情報発信する人、しかもそのアップデートにFTPクライアントを使おうなどという人は少数派なのかもしれない。
 だが、往年のマックユーザーにとってFTPクライアントといえば「Fetch」おいて他にない。今ではすっかりその姿を見かけなくなったフロッピー・ディスクを、愛らしい犬が口に咥え(走っ)ているそのアイコンは、「モノを取ってくる」というよく見かける犬の芸当と、ファイル転送機能を有するこのソフトウェアとを、アナロジーによって結びつけている。そして、作者は「Fetch」というあまりにも直截的な名をつけた。
 「Fetch」の誕生は1989年。FTPクライアントでは最古参である。そのプログラムは、ダートマス大学のジム・マシュー(Jim Matthew)によって、主として大学内で使われることを念頭に書かれたものだ。やがて、シェアウェアとして一般ユーザーが利用できるようになったが、一方で、大学発のソフトらしく教育・慈善を目的とする組織での利用は、登録の上、無料である。
 誕生して以来、何年にもわたって、「Fetch」は順調に世界中のユーザーの支持を広げつつ、新機能の追加やバグフィックスを繰り返してきた。しかし、作者が大学において職務上開発したプログラムの一つに過ぎないこのソフトをユーザーの求めに応じて、定期的にアップデートしていくことは徐々に難しくなってきた。
 そんなとき、転機が訪れた。2000年12月放映の米国テレビ番組「the Who Wants to be a Millionaire show」への出演だ。この番組で勝利を得たジムは、大学とは独立してソフトの販売が可能なように、ダートマス大学から「Fetch」のソースコードと商標を買取り、Fetch Softworksを設立する。
 現在、「Fetch」は3人の常勤スタッフにより開発が続けられている。

2011年10月6日木曜日

「ガラケー」と「スマホ」

 毎度のことながら、日本人の略語のセンスには驚きを超えて閉口する。つけ毛や部分かつらを、しばしば「エクステ」と呼び(本来は「ヘアー・エクステンション」である。)、わが国独自の規格と仕様で展開してきたため、高性能でも世界では相手にされなくなってしまった携帯電話のことを「ガラケー」と呼ぶ。最近、急速にユーザー数を増加させている「スマートフォン」に至っては「スマホ」である。
 恥ずかしながら、この「ガラケー」が何のことを言っているのか、最近になって知った。何とも「ガラパゴス」と「ケータイ電話」とを合わせて「ガラパゴス・ケータイ」、略して「ガラケー」なのだそうだ。
 かのダーウィンが進化論の着想を得た南米エクアドルの西方900キロメートルに浮かぶ南太平洋上の島々・ガラパゴス諸島と、携帯電話。奇妙の取り合わせだが、携帯電話をめぐるわが国の状況と独自に進化したイグアナやゾウガメが生息するガラパゴス諸島の様相との類似性に着目した論考・北俊一「日本は本当にケータイ先進国なのかガラパゴス諸島なのか」(野村総合研究所『知的資産創造』2006年11月号)の問題提起にどうも由来しているらしい。
 これまで、わが国の携帯電話端末は、目の肥えた日本人向けに、非常に高度で洗練されたものが開発・販売されてきた、しかし、これらの商品は日本以外では通用しない。そのため、世界における日本製品の占めるウェイトは極めて低い。「洗練され高品質」であるにも関わらずである。
 なぜか。少なくとも、この背景にはいくつかの要因があるという。第二世代と呼ばれる携帯電話の端末規格をPDCという日本独自規格にこだわったため、欧州を中心に展開していたGSMに世界の市場を席巻されてしまったというのが、第一。第三世代携帯においては、第二世代の轍を踏まぬよう、世界標準に対応したものの、世界の需要の主流がいまだ第二世代であることを看過して、日本企業のみが3G対応端末を投入したことが、第二。そして、わが国の場合、携帯電話キャリアを中心とする垂直統合のビジネスモデルがもともと確立されていて、携帯電話端末メーカーは携帯電話キャリアの要求する仕様に応じて端末を開発・生産してきたことが、第三。
 ガラパゴス化を考える場合、規格・仕様・標準といった要素が深く関わっており、また、企業が採用するビジネスモデルが競争を規定しているといえそうだ。