2007年12月18日火曜日

2007年12月17日【鎌倉市民第一日目】

朝8時半から荷物の搬入。すべての荷物の搬入には、正午過ぎまでかかった。途中、役場に転入届など事務的な手続きを済まし、近所を散策。今日から鎌倉市民。午後3時過ぎまで作業。実家泊。夕食後、実家のリビングで深夜まで講義の準備など。

2007年12月17日月曜日

2007年12月16日【さよならお台場】

きょうは、足掛け7年間過ごした台場での最後の日。いわゆる職住近接・高層住宅。イマドキの都心暮らしを満喫したお台場。そして、この場所で二人の新しい家族が加わった。
昨日は会合があり、帰りは遅くなったが、午前9時にはすっかり家を出る支度が整った。午前中のうちにすべての荷物をまとめ引越業者に任せた後は、家族4人で新しく住むことになる鎌倉へ移動。まずは、新しく住む家に立ち寄り、近所への挨拶回り。そして、実家泊。

2007年11月23日金曜日

ミシュランガイド東京版

 四谷での会合の後、帰宅途中に六本木のABC(青山ブックセンター)に立ち寄る。本日発売のミシュランガイド東京版を買うためだ。すでに午後11時を過ぎている。
 あれだけ報道されていたのだから、品切れであることを半ば覚悟していた。が、運良く本屋のレジ近くに数冊の「赤い表紙」は鎮座していた。手に取ると、待っていたとばかりに店員が一言。「日本語版は売り切れました」と宣う。「知らなかった、ミシュランガイドに日本語版が出ていたのか......」。日本語版が出ているとは知らなかったのだから、何をためらう必要があろう。記念すべき『2008年Tokyo版』を購入。そして、まず最初にしたことは、ページ右下にあるマンガをめくりパラパラやることである。

書肆:今日立ち寄った書店<書原(霞ヶ関店)>

 午前中から夜遅くまで比較的タイトなスケジュールの今日、虎ノ門でのミーティングの後、次の用件まで小一時間ほどの隙間ができたので、虎ノ門交差点のほど近くにある<書原>に立ち寄る。つい先頃まで、この近辺の別のビルにあった店が、再開発の一角を占めるビルに移転したようである。日暮れの早い冬の夕暮れ時に煌煌と光る蛍光灯。周辺のビルが立て替えで暗いためか、ひときわ目立っている。目が痛い。あの明るさは深夜のコンビニを見るようだ。この明るさだけはロードサイドにあるツタヤや文教堂の風情である。
 歩道橋を渡り、店に入る。あの「詰め込んだ」感じは新橋店とかわらない。<書原>らしさである。書店は同系列の店でも立地で表情を変えるが、このあたりは官公庁の多いためか、実務関連の法律関係書籍がとりわけ充実している。とはいいながら、人文関連の専門性も<書原>らしく見逃せない。それほど大きな店舗ではないのだが、それぞれの領域において独特の専門性の深みを感じさせてくれる面白い書店だ。今日、ここでは一冊も買わなかった。政府刊行物センターにありそうな実務関連の本のタイトルを手帖にメモした。あとでまとめて注文するために。

2007年10月20日土曜日

「失言」の構造

 昨今における「語られた言葉」に関する興味深い分析は、現代の「政治と言葉」をめぐる状況について、それが単に政治の質の低下や、個人の資質以前の問題へとわたしたちを導く一つの契機となった。作家の高村薫も、繰り返される失言を前に、言葉を扱うことを職業とする一人の人間の直感として、このことに気づいているようである(東京新聞2007年7月・社会時評)。
 彼女は言う。もとより人間の発する言葉には本心の表明もあれば、本心を偽る嘘もある。受け手は、言葉となって現れたその内容の真偽ゆえに、その言葉に説得力を見いだすのではなく、もっぱら直感的な印象を重視する態度、これが昨今の一般的傾向である......。こうなると必然、政治の言葉に意味は失われ、もっぱら国民の感情をいかに刺激するか、ここに関心が集中する。そして、論理や中身ではなく、好印象と親しみやすさこそがその目的になる......、と。
 近年における政治的発言の顕著な変化を「レポート・トーク」から「ラポート・トーク」への動きと指摘する見解がある(東照二『言語学者が政治家を丸裸にする』文藝春秋、2007年)。「レポート・トーク」というのは、情報の提供を中心に据え、その目的は説得にあるとされる(情報提供型)。従来の政治的発言は、基本的にこの流れに沿うものであった。しかし、近年では、「レポート・トーク」よりも「ラポート・トーク」が重視されるようになったといわれている。これは、聴衆を刺激することで共感を呼び起こすタイプの話し方で(共感惹起型)、情報提供型(レポート・トーク型)の演説にありがちな高所から見下すようなところがなく、同じ目線で語られるのが特徴だ。話しの中に極めて私的なエピソードをとり入れてみたり、地方を地盤とする政治家は話しに方言を織り交ぜたりすることで、効果的な「ラポート・トーク」となり、聴衆からの共感を手に入れる。
 確かに「ラポート・トーク」は今風である。いわゆる「ワン・フレーズ」もこの延長線上にあると考えられる。このような言葉をめぐる環境の変化とその先にある「ウケ」重視の姿勢が「習い性」(高村薫)となった政治家は、悲しいことに「失言」を連発する。
 では、政治的には一定の力を発揮した「ワン・フレーズ」と「失言」の境目は一体どこにあるのだろうか?よく考えると、一定の発言を「失言」と決めつける論理は案外はっきりしていない。結局は、漠とした社会通念を頼りにせよということであろうか。発言の内容が、本心の表明であれ、本心を偽る嘘であれ、その場の空気を読んで発言せよということだろうか。最近、「KY(空気が読めない)」という奇妙な略語が巷間を流布したが、この「空気」こそ過去に多くの過ちをおかした原因ではなかったか。世間が「失言」と名指ししたからといって、わたしはこれに乗じて政治家の不見識を批判するつもりはない。むしろ、公共的決定に携わる政治家の発言は、そのときの「空気」に左右されるようであってはいけないのだ。
 ただ気になるのは、最近の失言は、確信犯的な信念の発露でもなく、熟慮の末の発言でもないということである。自らの発言に責任をもつのであれば、反論こそすれ、謝るべきではないはずだ。すぐに頭を下げるというのは、自らの発言に信念も熟慮も持ち合わせていないということの証である。
 信念と熟慮に導かれた言葉は、多くの場合失言にはならない。それらは、インパクトや「ウケ」とは本来無縁のものだから。むしろ、それこそが、かつて山本七平が指摘した「水を差す」言葉になり得るものであり、無責任に醸成された「空気」を「通常」に立ち戻らせる言葉になるはずだ(山本七平『空気の研究』文藝春秋、1983年)。

2007年9月6日木曜日

失言は資質だけの問題か---「政治と言葉」をめぐって

 ここのところ「政治と言葉」をめぐり興味深い分析を行う著作の刊行が相次いでいる。いずれも国民の圧倒的支持を五年の長きにわたり集め続けた前政権の、しばしば「ワン・フレーズ・ポリティクス」と揶揄されながらも存分に発揮することとなった「言葉の力」というものに、研究者たちの関心のアンテナが敏感に反応した結果であろう。
 確かに、ある政治家の生い立ちやそこで育まれた思想、またはその政治的発露としての政策をわれわれはしばしば目にするし、これらを記した文献も少なくない。だが、こうした「書かれた言葉」に比べると、議会や街頭において日々行われ、しばしばわれわれの情緒をかき立てずに置かない、そして時として些末な議論へと誘い、場合によっては誤った方向へ導くことすらある「語られた言葉」の分析は、プラトンやアリストテレスの昔から政治家の生命とされてきたものであるにも関わらず、昨今、性懲りもなく繰り返される「失言」をめぐるジャーナリスティックな取り扱い(たとえば、保坂正康『戦後政治家暴言録』(中公新書ラクレ・2005年)がまとまっている。現政権についてのものでは、東京新聞2007年7月21日朝刊特報部の記事が詳しい。)を除けば、わが国でついぞ目にすることはなかったように思う。
 次回以降、見て行くことにするが、戦後政治に限ってみても、言語ないし言葉をめぐる環境の変化は否定しがたく、このような指摘はジャーナリズムによる直感的ないし情緒的な反応にとどまらず、ここに来て政治学や社会言語学の視点から、ある程度実証性を伴ったかたちで整理・検討され、明らかにされるようになった。
 ここでいう言語環境、言い換えれば「言葉をめぐる環境」とは、この社会と時代を動かしている人々の一群の言語感覚に他ならない。無論、言葉は発するものである以上、受け手の存在があって成立するものである。したがって、国民の支持をわしづかみする巧みな言説も、その支持を一夜のうちに消滅させる失言も、単純に政治家本人の資質のみに還元されるものではないはずだ(日々マスコミの報道にあるように資質に疑問符が付く者が多いのも否めない事実なのかもしれないが......)。むしろ、受け手の意識や資質も問われなければならず、いわば構造的な問題として把握する必要がある。
 確かに、いわゆる「失言」の類を政治家の資質の問題として済ますのは簡単である。しかし、それでは「政治と言葉」の問題の一端の、しかもその表面だけしか捉えていないことになる。逆に、言葉を巧みに用い、自らの政治的意図を成功裡に導いた者に対する評価も単なる「資質」の問題として片付けられてよいのだろうか。言葉巧みで、プレゼンテーション能力に富み、よいイメージが伴っていても、政治的な成功が保証される訳ではない。「資質」とは異なるもう一つの次元にも目を向ける必要がある。
 わたしを含め、日常の些事にあくせくしている人間は、問題の一端をとらえてわかった気になってしまう。この件についても、よもや自ら属する社会や時代の言語環境にまで思いを馳せることなど夢にも思わないのが普通であろう。
 実施に移された政策の当否についてはいまだ議論が分かれるところであるが、われわれの感覚や意識をも巻き込む看過されがちな言語環境の変化に今さらながら気づかさせてくれたこの一点だけを見ても、前政権の功績は大であるといえる。というのも、今ある言語環境の的確な把握こそが、わが国の民主制の深化に不可欠であると考えるからである(つづく)。

2007年7月12日木曜日

一字分の空白、無用の隙間

 折々の節目、しばしばわたしのもとに婚礼の招待状と見紛うばかりの大げさな封書が届けられる。おそらく仕事や研究会などで同席し、名刺交換でもしたのだろう。差出人には、見覚えのある法律事務所の名。開けてみると何ということはない。この事務所で新しく業務に従事することになった弁護士の挨拶状であった。二つ折りの厚紙の片方には、事務所の代表者によるこの弁護士の紹介、そしてもう片方には当人の挨拶と抱負が書かれていた。
 こんなご丁寧な挨拶状をもらっておきながら、あれこれいうのも気が引けるのだが、最近、この手の挨拶状を見るといつもあることが気になってしまう。内容のことを言っているのではない。体裁、いやむしろ作法というべきか。わずかはがき一枚程度の短い文面である。しかし、わたしは唯この一点が気になって、一々つまずいているのだ。
 試みに同僚や事務所のスタッフにこの挨拶状を見せ、違和感の有無について尋ねてみると、意外なほどこの点に気づいてもらえない。「この偏屈者っ!」と、こんな声が周りから今にも聞こえそうである。
 わたしのつまずきの原因、それは手紙の文面にしばしば登場する一文字分の空白、無用な隙間。そう、この手紙には句読点—「、(テン)」と「。(マル)」—がないのだ。
 文面を目で追うとき、この空白をわたしは素通りすることができず、その都度何も書かれていないこの隙間に落ち込み、確かに読み取っているはずのこの手紙の文意を、この空白に出くわす度に消去され、何度も行きつ戻りつしながら読まされることになる。もちろん、この手紙に書かれていることと言えば、型通りの挨拶にすぎないわけで、実際上何ら不都合があるわけではないのだが。
 確かに、歴史をひもとくと句読点が用いられるようになったのは明治も後半になってから。日本語にはもともと句読点などなかった。
 つい先日、いわゆる礼儀作法に関する本を手繰ってみた。誰が言い出したのかはよく知らない。見ればいろいろ書いてある。目に留まったのは、改まった手紙は縦書きで書くべきこと、そして、手紙の文章に句読点を打つのは相手に非礼だということ。
 なぜ縦書きでなければならないのかの説明もなければ、逆に横書きの何がいけないのかについても語られずじまい。縦書きとは違って横書きだと相手方に「改まった」感じが伝わらないのは何故か。むしろわたしは、これを問いたい。昔からそうしてきたからか、それが伝統的なかたちだからか。「改まる」すなわち「礼儀の正しさ」は、果たして「古きこと」と同義なのか。また、句読点にしろルビにしろ、相手に読み方を指示するのは相手の無教養を指摘することになるのだろうか。俄には信じがたい理由である。しかし、仮にそうであったとしてもわが国の義務教育の普及や識字率を見れば、このような理由付けが現代において通ずるとは考え難い。今となってみれば、わたしには取って付けたような便宜的な理窟にしか思えないのである。
 殊に慶事の書状には句読点を打つべきではないという。確かに、句点「。」は文章の結びに用いられる。慶事を「結ぶ」すなわち「終わる」というのではいかにも縁起が良ろしくない。しかし、婚礼においては両家が「結ばれる」わけだから、「結ぶ」というのがつねに縁起が悪いというわけでもないであろう。慶弔によって水引の結び方・切り方は違えど、水引はいつもきれいに結ばれているではないか。
 わが国では、モノに何らかの意味や縁起を仮託するということがしばしば行われるが、このことは日本人の詩心にも根ざしており、それ自体決して悪いこととは思わない。しかし、後付けのご都合主義的なこじつけは、伝統の曲解・歪曲としかいいようがない。当然、わたしはこんな説明に説得もされなければ納得もしない。
 確かに、これまでわたしの手元に届いた婚礼の招待状に「縦書き・句読点なし」というのもあったかもしれない。だが、ビジネスに用いる書翰にまでこのような改まった体裁のものが広く用いるようなられるようになったのは極めて最近のことではないだろうか。
 ただ、いくら礼儀作法の本をひもといたところで、わたしのこの嫌悪にも似た違和感を説明することにはならない。では、その原因は一体何に由来するのだろうか。
 先日、ある人への礼状を書いていてふと気づくことがあった。便箋に万年筆を走らせていると、わたしは意外なほど句読点にこだわらないで書いている。書き上げてみると「、」と「。」は、ほとんど打たれていない。だからといって、字それ自体の巧拙は別として、内容を読み通すのにこれといった困難さも感じられない。
 試しにワープロで便箋に書かれた手紙の内容を忠実に—「、」と「。」を端折って—打ち込んでみた。一つ一つの字それ自体の読みやすさにも関わらず、出来上がった文面は息つく暇のない文字の羅列に疲れ、全く読めたものではない。コピーライター・糸井重里氏が一〇年余り毎日更新しつづけているインターネット・サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」(http://www.1101.com/index.html)に掲載されている彼のエッセイ(のようなもの)「今日のダーリン」は句読点を用いた文章だが、「、」と「。」以外にも「行かえ」(コンピュータ的には「改行」)を多用している。彼は横書きでメッセージを伝えるための見やすさをあれこれ試行錯誤した結果、このようなかたちが定着したといい、それはメールで使っている文章なのだという(糸井重里『インターネット的』PHP新書)。今でもたまにEメールの文章をまるで原稿用紙に書くかのようにびっしりと書き込む人がいるが、多少慣れた人は文章の途中でしばしば「行かえ」を入れ、いわゆる段落(あるいはパラグラフ)のところでは一行あけたりする。書き上げた文面を見直す際、体裁に由来する読み難さを解消するために、各々が工夫をした結果なのだろう。
 日本語はひらがなにしろカタカナにしろ、また漢字にしろ、マス目にぴったりと当てはまるように活字化され、日本人は幼い頃からこのような枠にはめられた文字を「正しい」とか「美しい」とか思ってきたフシがある。この「正しさ」・「美しさ」は義務教育と印刷技術の普及によって規格化され、一国を覆うようになってしまった。
 このような一字一字マス目の中に文字を置いていくやり方は、「、」や「。」によって一息つかせてもらえなければ読めたものではなく、仮に句読点がしかるべき位置に打たれていたとしても、適当に「行かえ」をしなければ視覚的に相当に辛い。コンピュータの画面であればなおさらであろう。
 それに比べ、手書きで便箋にペンを滑らせるときは相当自由である。毛筆で書かれた古い手紙(消息文)を見ても一文字一文字の大きさはマチマチだし、そもそも原稿用紙のマスを埋めるように書く必要など前提にない。文節など適当な切れ目で行をかえればよいからである。だからといって、意味を取り違えることも読み難くなることもない。
 おそらく、「、」と「。」はマス目を埋める発想と軌を一にしている。だから、マス目などそもそも存在しない便箋に「、」と「。」など必要ない。
 では「、」と「。」がないにもかかわらず、われわれの先人たちはどうやって文の中の区切りを見出してきたのだろうか。今となっては、時候の挨拶にその跡を残すにすぎなくなった候文(そうろうぶん)にそのヒントがある。かつて、書翰文といえば候文であった。先頃亡くなった山本夏彦氏に言わせると、「候」というのは句点(「。」)と同義なのだ(山本夏彦『完本・文語文』文藝春秋)。したがって、時候の挨拶に見られる「......の候」の後に「、」や特に「。」はあり得ない。このように、近代以前の人々は、文の切れ目を文脈や意味に加え、「行かえ」や特定の文字(「候」)によって、そしてきっと(これは推測ではあるが)筆線に見る墨色の潤枯によっても見出してきたのではないか。
 多分、原稿用紙の誕生は印刷技術と結びついている。その証拠に、誰もが見たことがある四百字詰めの原稿用紙の始まりは頼山陽が『日本外史』の執筆のために作らせた赤線罫(けい)の用紙であるいわれている。京都にある万福寺宝蔵院に所蔵されている一切経(大蔵経)の版木も四百字詰め(なお、もう一つの原稿用紙のスタンダードといわれる「ペラ」(二百字詰め)は、これに先立つ江戸中期の考証学者・藤井貞幹の『好古日録』の稿本に既に見ることができる)。
 一般に、マス目の存在は、文字数の的確な把握に役立ち、植字工が文字と文字の連綿を読み間違うことを防ぐ。また、マス目は活字を置く際にその配列やレイアウトを指示し、その出来上がりをある程度イメージすることにも有効である。
 「、」と「。」は、マス目に文字を置くことと必然的に結びつき、マス目を伴う原稿用紙は活字印刷に不可欠な道具であった。
 冒頭のあいさつ状に対する違和感の理由(わけ)が少しずつ解けてきた。元来、手紙は手書きであった。句読点(「、」と「。」)など使わなくてもよかった。だが、印刷技術の登場により活字が使われ始めると、やがて句読点は必須のものとなっていく。現代、マス目に収まることを義務付けられた印刷活字の中に手書きで書かれていた時代の流儀が持ち込まれているこの事態。それがわたしの目には「無意味な隙間」と映り、いい知れぬ違和感の源泉となっていたのではないか。では、わたしがこのあいさつ状に違和感だけではなく、嫌悪さえ感じたのは一体何故か。おそらく、わたしは、この手紙の中に伝統や古きものへの主体的な問いかけを怠り、ただそれを権威として盲従するだけの精神、この表層的な伝統墨守の姿勢と復古主義的な傾向を垣間見たからではないかと思っている。極めて私的な感想・情緒の域を越えるものではないが、世を覆うこの無意識にささやかながら抵抗を試みたいと思い、おそらく誰もが歯牙にもかけないこの問題をムキになって論じ、最近の半ば常識化したこの流儀に一言いっておきたかっただけのことである。