昨年6月に出版された筒井清忠氏の編による『政治的リーダーと文化』(千倉書房)は、どの論文を読んでもユニークな視点に基づく興味深いものであった。
瀧井一博氏による「『知』の国制」は、伊藤博文が政策シンクタンクとして大学(帝国大学・国家学会)を、現実政治の中から議会へ政策的知見を吸い上げるパイプとして政党(立憲政友会)を構想し、統治に文明作法を導入した「知の政治家」として評価する一方、彼の主知主義的なその思想故に民族主義的なナショナリズムを最後まで理解できず、またそれに足もとをすくわれた。ここに、政治的リーダーシップにおける合理性の追求と非合理性への目配せの微妙な問題を見る。
また、奈良岡聰智氏による「近代日本政治と『別荘』」は、大磯を始めとする湘南の別荘地の形成と、近代日本政治における別荘の果たした役割、そしてその消滅を描き、政治プロセスや政治家を研究対象としてきた日本政治史研究の対象に「場」という新たな要素を持ち込んだ。そして、湘南の「別荘」地の形成には、ここでも伊藤博文の知性と開放的な性格が大きく寄与していたとの指摘。『坂の上の雲』・『翔ぶが如く』での伊藤は、哲学なき周旋家、思想なき現実主義者として描かれているが、この司馬史観に対するもう一つの伊藤像が、両論文では示されている。「知の政治家」伊藤博文の読み直しが、再び起こるかもしれない。
出色は、細谷雄一氏による「貴族の教養、労働者の教養」である。第二次世界大戦前・戦間期・戦後までの20年間にわたって英国外交を支えた二人の政治指導者、アンソニー・イーデンとアーネスト・ベヴィンの友情と両人の卓越した資質に注目し、それを育んだ社会的背景は何だったのかを問う。保守政治家のイーデンは上流階級の出自、イートン校・オックスフォード大出のエリート。他方、労働党政治家のベヴィンは貧しい農家の私生児で母親とも8歳で死別、その後労働者となる。異なる階級、異なる政党に属する二人の政治家が、なぜかくも緊密な信頼関係と協力関係を築くことができたのか。彼らに見る優れた外交指導者に必要な資質とは何か。
貴族階級の没落と労働者階級の勃興。政治の舞台が庶民院に移った。そこで二人の運命は交錯し合う。確かに、両人の知識と政治能力を磨いた場所は違い、教養や知識の意味も大きく異なっていた。だが、実際の経験や試練によって能力を磨き、自立した精神によって道を切り拓き、勤勉さと誠実さによって交渉を進めていく二人の資質は、多くの点で共通していた。おそらく、ここから一つのことが言える。政治的指導者に必要な知性は、難局に向き合った経験と相手からの信頼を増幅させる力によって築かれる。これらは後天的なものである上、獲得するのに出自は関係ない。難局を経験し、それらをどう克服してきたかによる、と。
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