折に触れ、その人がどんなふうにモノを見ているかを参照したくなる知識人がいる。その人の著書を身近においておきたいと思う人がいる。わたしにとって、猪木武徳氏はそんな存在だ。大学学部時代に読んだ『経済思想』(岩波書店、1987年)は、法律学を専攻していたわたしにとってもきわめて有意義な内容で、その後に起こった数多くの困難な問題に直面したときにも、常に振り返り重要な示唆を得ることができる一冊となっている。また、20代のときに、ここで取り上げられた法学・哲学・経済学等の古典をしらみつぶしに取り組んだことが、自らの市場観、資本主義観を育むことにつながったように思う。その後に刊行された書き下ろしの『戦後世界経済史---自由と平等の視点から』(中央公論新社、2009年)や『自由と秩序---競争社会の二つの顔』(中央公論新社、2001年)や、エッセイなどをまとめた『デモクラシーと市場の論理』(東洋経済新報社、1997年)も、共感するところが多く、いまもなおしばしば読み返す。
去年刊行された『公智と実学』(慶應義塾大学出版会、2012年)は、数多い猪木氏の著作の中でもちょっとユニークな一冊である。前半は、新聞紙上などで公表された時論をまとめ、後半は講演録で関係諸誌に掲載されたものを収録している。一見するとそれだけかと思いきや、ここで取り上げられているのは、いずれも福澤諭吉の思想に触れたものばかり。『学問のすすめ』や『文明論之概略』など主要な著書が取り上げられ、猪木氏の読みが示される。
本書のタイトル『公智と実学』の「公智」とは、「人事の軽重大小を分別し、何を優先すべきか時と場所とを察しつつ判断する働き」のことで、「物の理を究めてこれに応ずる働き」である「私智」とは区別される。「私智」とは、福澤先生に言わせれば「工夫の小智」であり、学校で習うような知識、すなわち受験勉強のようなもの。しかし、文明にとって真に大切なのは、大局的な価値判断能力(もちろん、「工夫の小智」に裏付けられた)。福澤先生が言うところの「聡明の大智」(=公智)。福澤の思想はしばしば「私」の思想と捉えられがちだが、じつは「公(パブリック)」を意識した思考の体系であることが猪木氏の語りによって明らかにされる。
猪木先生の良さは、経済問題などの社会的な問題に対する分析には「実学」、つまり「サイエンス(科学)」の方法をもってし、その価値判断の基底には浩瀚な人文学的教養(ヒューマニティーズ)を有していることである。きっと、このことが単なる有識者・学識経験者にとどまらない、その領分をはるかに凌駕した知識人とみられる所以なのだと思う。
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