2014年12月15日月曜日

40年目の「消費者の権利」

 ここに二冊の新書がある。同じ著者による同名の本で、タイトルは『消費者の権利』。2009年に亡くなられた故正田彬教授の遺著である。旧版が刊行されたのは、1972年(昭和47年)のことで、岩波新書が緑版であった時代だ。新版の刊行は、2010年(平成22年)。岩波新書は新赤版となっていた。この二冊は、実に40年の時を隔てて出版された。
 わたしは、ここ一ヶ月ほど、この二冊をやや丁寧に読みなおしている。というのも、ある消費者団体が主催する勉強会で、この本を取り上げることになり、ぜひ縁のある人にこの本(新版)の紹介とコメントをしてほしいとの依頼を受けたからだ。「消費者法ブックカフェ」という名の、このささやかな集まりは、消費者問題や消費者法に関わる本を読んで、それを手がかりに互いの問題意識を深めていこうというもので、なかなか興味深い試みである。
 たしかに、「消費者の権利」ということばは、あまり聞かなくなった。学生に聞いても、「消費者」ということばは知っていても、「消費者の権利」には、いまいち反応がない。「消費者基本法」の中には、たしかに位置づけられている。このことばが話題とならないくらい、この権利は、わが国において当たり前のものとして定着したといえるのだろうか。
 40年前、「消費者の権利」という価値を、現代社会における消費者の地位を前提に法的権利として組み上げていくことが求められた。そして、国や地方自治体は、こうした視点を拠り所にして消費者行政を進めていくべきものとされた。現在、国が制定する法律や地方自治体の条例にも「消費者の権利」を文言としては見出すことができる。だが、輸入・国産を問わず流通した事故米穀の問題、輸入冷凍餃子の中毒事件、暖房機やガス瞬間湯沸し器の一酸化炭素中毒、繰り返される食品偽装表示等々、消費生活をめぐる問題はきわめて数多く多岐にわたる。そして、商品やサービスの高度化にしたがい、複雑になっていく。
 40年を経たいま、現在の経済社会のなかで、「消費者の権利」をどのように捉え、どう位置づけていくべきなのだろうか。また、複雑化する消費者問題に「消費者の権利」という立場からどのようなアプローチが可能なのか。新旧両版を読み解いていくことで、40年目の「消費者の権利」を考える素材が提供できればと思っている


中国・独占禁止法執行機関の悩み

 七月半ば、二泊三日の日程で中国・北京に海外出張してきた。目的は、中国政府・商務部での講演とセミナーへの参加である。公正取引委員会と国際協力機構とが共催する「法支援プロジェクト」の一環で、これまでにもわが国と中国との間で、こうしたプロジェクトが行われたことがあるらしいのだが(テーマは、独占禁止法の制定)、今回はその二度目(テーマは、独占禁止法の運用)。中国において独占禁止法が制定されたものの、その運用をどう実施していくべきか。「法支援」の一環として、向こう三年の予定でわが国の実務や経験などを共有していく予定とのことである。
 今回、私に与えられた講演のテーマは、「戦後日本における競争法と産業政策」について。いまだ急激な経済発展のさなかにある中国では、競争法(独占禁止法)よりも産業政策が幅を利かせるのだそうだ。とくに、独占禁止法は政府部内のいくつかの部局がになっており、力が分散化する上に、産業政策を担う部局と同じ部内。つまり、公正取引委員会のような独立した機関が権限を行使するという形にはなっていない。
 そこで、しばしば持ち上がるのが、競争法や競争政策の執行よりも、産業政策を優先させるべきという発想、競争しすぎると共倒れを招くし、国内の競争ばかりに気を取られると国際的な舞台で競争力が発揮できない。どちらも、競争法に反するカルテルや独占を許容する論理である。とくに、経済成長が著しいときは、しばしばこうした議論が闊歩し、競争は後ろにのいてしまう。中国でも同じ問題があるようだ。商務部で競争法の執行に当たる担当者は、この点非常に悩んでいるようだ。
 わたしは、産業政策の影響が強かった高度経済成長期において、日本の競争法の執行を担う公正取引委員会がどのような施策に重点を置いたか、いくつかの例をあげながら説明を試みた。そして、産業政策的な発想が競争法優位に変わった契機などについても話をした。
 過当競争の防止や国際競争力の涵養ということを上げては、カルテルや競争制限的な合併などを許容する。確かに、今の日本でもよく聞く議論である。わが国にはこのような例はたくさんある。この経験がお隣の中国において活かせるというのだ。
 一日目午後に北京入りし、夕食を兼ねた翌日の打ち合わせ、二日目は終日講演とセミナー、三日目は翌日は日本で講義もあることから、夕方の帰国を目指してホテルを出たので、海外に行ったと言っても、あまり実感のわかない出張であった。

2014年10月6日月曜日

移動体通信事業において求められる競争とは?

 総務省やその審議会を構成する有識者も眉をしかめる大手携帯三社による「極端な値引き」と「高額キャッシュバック(現金還元)」。しかし、これまで見てきたとおり、スマートフォン端末と電気通信回線サービスとをセット販売を行っている実態を前提とすれば、独占禁止法で禁止される不当廉売にも、景品表示法で禁止される不当表示・不当景品類にも、当たるというにはやや難がある。
 たしかに、一部の乗換えユーザーのみがメリットをうけ、なかなかメリットが受けられない一般ユーザーの不満は当然である。しかも、もともとこの市場において必要とされる競争は、一部ユーザーに利益を供与することによる競争ではない。移動体電気通信サービスそれ自体の料金やそのサービス内容をめぐっておこなわれる競争でなければならないはずだ。
 しかし、たとえ「極端な値引き」や「高額キャッシュバック(現金還元)」が望ましくない不当な競争であったとしても、違法とまではいえない以上、(事実はどうかわからないが)事業者間で話合ってこれらの行為を止めたり、今回のように行政指導類似行為を通じて止めさせたりすることは、むしろ独占禁止法で禁止されるカルテルだとの疑いを免れず、許されない。
 では、このように、違法とまではいえないまでも、不当な競争を排除し、本来求められるサービス競争を仕向けるには、どうすればよいか。一つの方法は、景品表示法にある公正競争規約の利用である(景品表示法11条)。一種の自主規制であり、これに行政がオーソライズするものだが、当該事業分野における販売方法を行政や消費者の監視下におきつつ、本来望まれる競争を促すための前提がここで整うはずである。活発なサービス競争を促進する競争政策を展開するのは、こうした前提の上で行われるべきであって、まちがっても、対症療法的に、行政指導類似の奇妙な手法で介入をすべきではないのである。

キャッシュバックは「値引き」かそれとも「景品」か

 では、一般消費者に対するスマホ端末の高額キャッシュバック(現金還元)についてはどうだろうか。たしかに、キャッシュバック(現金還元)を経済的に見れば、これは値引きと変わらない。ある財の移転にともない支払われる金銭の総額は、最終的に見ればキャッシュバックも値引きも同じだからである。
 しかし、よく見ると、キャッシュバックは、値引きすなわち単なる対価の減額とは一線を画している。なぜなら、値引きは、ある商品の購入と同時に対価が減額されることであるが、キャッシュバックはある商品の購入と同時に一定の経済的利益を備えた権利を受取り、後日これを行使することではじめて対価の減額(値引き)が具体化する。このプロセスを見ると、キャッシュバックは、むしろ値引きというより景品類の提供に近いように思われる。
 わが国では、景品類の提供は一般的に禁じられてはいない。一般消費者の選択を歪めるような極端なものが禁止の対象となる。ルールの上では、総付け景品(ベタ景品)の場合は取引価額の2割が目安となっている。
 ここで問題となっている一般消費者の対するスマホ端末の「高額キャッシュバック(現金還元)」は、優にこの水準を超えてはいるだろう。ただ、値引きの効果が次回取引時の権利行使を条件とするポイント等の提供とは異なり、まさにその取引に関して後日値引きの効果が得られるキャッシュバックは、消費者を次回の取引に誘引するものではなく、実質的には値引きであるとして、不当な景品類の提供として景品表示法上は問題がないものと扱われてきたのだろうと思われる(つづく)。

スマホ端末の「値引き」が続けられている理由は?

 スマートフォン端末の「極端な値引き」は、端末というハードのみを取引対象としているとの理解に立てば、携帯電話会社がメーカーから買い入れたその端末を販売店に卸した際の仕入原価を割り込んだときに「廉売」となる。しかし、これに対する非難をそれほど聞いたことはない。もちろん、安売りは一見すると消費者のメリットにも適っているようにも見え、批判しにくいという側面はある。しかし、恒常的にこうしたビジネス慣行が「合法的」に続けられているということは、それ以外に理由があるはずだ。
 その理由として二つが考えられる。一つは、その廉売行為が「不当」ではないこと、いま一つは、そもそも「廉売」ではないことである。廉売行為が非難の対象となるのは、前回も述べたとおり、市場独占を狙って、自らと競争関係にある相手を駆逐するために行うからである。だが、大手三社の携帯電話会社の競争の現状を見る限り、ある一社が市場独占を当該行為によって実現するような状況にあるとはいえず、三社相互に拮抗したかたちで競争が展開している。こうした事情を踏まえれば、現状、この市場に政府・公権力が介入する理由をこの点に見出すことは困難といえるかもしれない(もちろん、大手以外の小規模の携帯電話会社(しばしばMVNOという)は、大手三社によるこうした競争のせいで、事業活動の展開を難しくさせられている場合、「不当」な廉売という筋道もあり得る)。
 他方、この行為はそもそも廉売行為といえるのかどうかという問題もある。少なくとも、大手の携帯電話会社のビジネスモデルは、スマートフォン端末本体だけを取引の対象とはせず、携帯電話会社が提供する回線契約と結びつける、いわばセット販売を行っている。二つの性質の異なる財ないしサービスが組み合わさると、廉売行為の評価の前提となる「原価」の捕捉が難しくなる。端末というハードの製造原価ではなく、仕入原価が問題となる本件では、端末単体の原価を捕捉することが比較的容易だが、回線契約というサービスの原価は容易には確定し難い。
 いずれにしても、携帯電話会社やその販売店の価格設定を問題として捉え、これらに介入することは、いくつかの困難を伴う(つづく)。

値引きが、非難されるのはどんなときか

 やや不思議な経緯で姿を消した乗換え顧客に対するスマートフォン端末の「極端な値引き」と「高額キャッシュバック(現金還元)」……。周知のとおり、これらが可能になるのは、大手通信事業者が販売店に高額のインセンティブ(販促費)を支払っているからである。
 「極端な値引き」にしろ、「高額キャッシュバック」にしろ、魅力的な条件で顧客を誘引する手段に違いない。直感的にこれらの行為を非難するのはやさしい。しかし、こうした手段で顧客を誘引する行為それ自体は、通常の事業活動の一環だといえなくもないし、たとえ「極端な」とか「高額」という修飾語がついたとしても、企業は、自らの商品やサービスを魅力的なものに見せ、または、何らかの経済的利益を付するなどして顧客と取引しようと努力するものだから、これ自体、単純に非難することは難しい。
 問題は、どのような場合に、そして、どのような視点から、これらの行為が非難されるべきなのかを明らかにすることが重要である。独占禁止法の解釈と運用は、こうした疑問に対し一定の解答を用意している。
 まず、「極端な値引き」について。あまり考えたことはないかもしれないが、「値引き」とは、購入した商品やサービスの対価の減額のことである。一般に、商品やサービスが安く購入できることは消費者にとって望ましいことであるので、問題となるのは、①実際には存在しない高い価格を提示して、その価格から大幅に割引しているかのように見せる場合である。二重価格という不当表示の問題となる。いま一つは、②自らと競争関係にある相手を駆逐するために、戦略的に低価格販売をする場合である。これは、不当廉売とか掠奪的価格設定とか呼ばれている。低価格というのだから、この市場で成立している市場価格を下回っていることはもちろんだが、より確実には、内部補助(企業内で費用を融通する)などして、製造原価や仕入原価を下回ることで、競合他社が対抗不可能な価格設定が行われていなければならない。
 となると、携帯電話の取引において、一体何を取引しているのかが問題となる。というのも、製造原価や仕入原価といっても、取引の対象が一体なんなのかを確定しなければ、そもそも原価も定まらないからである。とくに、携帯電話の取引はスマートフォン端末だけを取引しているわけではなさそうだ。2年間に及ぶ「縛り」を条件とすることにより、通信サービスも合わせて取引しているように見える(つづく)。