2011年11月28日月曜日

桜井英治著『贈与の歴史学---儀礼と経済のあいだ』(中公新書、2011年)

もともと、プレゼントをもらうのもあげるのも得意な方ではない。でも、まだあげる方がましかもしれない。逆に、プレゼントをもらうのは、かなり苦手だ。欧米人のように、プレゼントをもらうとそれをすぐ開封し、皆の閲覧に供するという振舞いが、どうしても自然にできない。その理由は、おそらくわが国の中世に遡る。桜井英治著『贈与の歴史学---儀礼と経済のあいだ』(中公新書、2011年)は、日本人の贈与に関する心性を余すところなく歴史学的視点から掘り下げられており、思わず膝を打ちたくなる箇所がたくさんある。それはそうとして、従来、贈与経済と市場経済は根本的に別と言われてきたが、儀礼としての建前主義・形式主義が行き着く先には、市場経済に近づいていくことが実証的に説明されている。だが、やはりすんでの所で、贈与経済は市場経済とは融合しない。この「すんでの所」でのせめぎ合いとエピソードがこの本の面白さ。クリスマス、お歳暮、バレンタインデー、ホワイトデーなどこれからの季節は「贈与の時期」。このタイミングで日本人の贈答文化の実は功利主義的な一面に目を向けるのも面白い。

2011年11月11日金曜日

ノーベル賞の季節

毎年10月には、ノーベル賞の各賞が発表される。かつては専門の関係もあってか、経済学賞の動向に関心が向いたものだが、最近は文学賞に目がいってしまう。いや、関心の問題というより、くだんの経済学賞が経済学という学問の最近の傾向を反映し、聞き慣れない人や業績の受賞がここ十年ほど相次いでいるからかもしれない。かつてノーベル賞の受賞といえば、多少専門から外れている人であっても、基本的な教科書をめくれば出てくるような、どこかで聞いたことのある業績や人に贈られたものである。あまりよくは知らないが、自然科学においても同様の現象が見られるのではないだろうか。
 その点、文学賞は変わっていないように思う。依然として、その国その国を代表する作家に贈られている。外国の作家のなかには、わが国であまり馴染みのない名前がとりあげられることもないわけではないが、そうはいっても、これはたまたま日本において紹介がなされていないだけのことであって、世界的にはよく知られた人である場合が多い。
 試みに、聞き慣れない作家や作品であっても、すこし大きな書店の該当の棚を覗けば、必ずと言ってよいほど、当該作家の翻訳作品に出会うことができる。翻訳によって近代化をなしたわが国の面目躍如である。
 では、今年のノーベル文学賞の受賞者をご存知だろうか。今年の文学賞は、スウェーデンを代表する詩人、トーマス・トランストロンメル氏である。氏は、これまでに何度も候補に上がっており、順当な受賞という評価であった。だが、大方の日本人には馴染みの少ない名前かもしれない。比較的寡作ではあるが、半世紀以上にわたり活躍し、世界的にもファンも多い。翻訳はすでに60カ国語に及ぶ。
 ただ、あいにくわが国では、1998年にたった一冊だけが翻訳されているにとどまる(『悲しいゴンドラ』思潮社)。この一冊もこの受賞までしばらく品切れであった。今回のことで、その後のいくつかの詩編を加え、増補版がひと月もしないうちに刊行されている。もっと彼の作品を読みたいと思ったわたしは、スウェーデン語は無理なので、英語版のいくつかを購入することにした。アマゾンで夜半過ぎに注文したら、夕方にはその本が自宅に届けられた。すごい時代である。