2012年5月7日月曜日

日本人の市場観・競争観


 米国・ピュー研究所による国際的な意識調査において、日本国民が市場経済に対して示した認識ないし心情は、きわめてユニークな、というよりアンビバレントな(一貫性のない)ものだった。つまり、「貧富の格差が生じるとしても、自由な市場経済で多くの人々はより良くなる」との問いに、主要国の中では最も低い結果を示し、また、「自立できない非常に貧しい人たちの面倒を見るのは国の責任である」との問いにも、同様に低い結果を示す。
 この結果の意味するところは、一体何なのか?
 こういう考えもあり得るのではないか。日本人は、自由な市場経済の下で、とても豊かになったとしても格差がつくことを嫌う。市場においては、そもそも格差がつかないようにすることが大切と考えている。いわゆる「等しからざるを憂う」という態度だ。確かに、市場によって格差の発生を未然に防止することができれば、国が貧困者を助ける必要はそもそもない。失敗者や脱落者を市場において作り出さないこと、これが大事なのである。
 こうした思考は、企業間にあっては、仲間内だけで利益を配分し、長期的に誰もが脱落しないようにしてきた談合の論理にも付合する。また、他方では、他人のニーズとは異なるかもしれないが、自分にあったモノやサービスの提供を求めることはせず、他の人と同じモノないしサービス、あるいは、価格であることに安心する消費者心理、裏を返せば、市場において単一のモノ・サービスしか提供されていなくとも、比較的穏やかでいられる、つまり独占が形成されていても寛容な姿勢につながる。
 先頃の、格差論において標的とされた市場競争を叩くのはいいとしても、その先にある競争の反対概念としての独占に思いを馳せることなく、つまり、独占の弊害を脇に措いて議論するのはフェアじゃないと思っていた。しかし、案外、市場競争を叩いていた人たちは、そもそも独占についてそれほど危機感を持っておらず、きわめて寛容な人々だったのかもしれない(つづく)。

【柳広司・『ジョーカー・ゲーム』シリーズ】


珍しくゆっくり過ごした土曜の午前、滅多に見ないテレビのチャンネルを合わせてみたら、目に入ってきたのが「王様のブランチ」の書評!?コーナー。かつて、筑摩の松田哲夫氏のコーナーだったアレである。そこでは、たまたま「ジョーカー・ゲーム」シリーズ最新刊で第三作目・『パラダイス・ロスト』が紹介されていた。前々から、気にはなっていた。陰影が強調され、繊細なラインに極彩色が施された表紙のイラスト。そして、旧陸軍の軍人が描かれているようだが、何か別物のようにも見える印象的なカバー。気にはなっていても、読み慣れないこの手のジャンルの本は、ややハードルが高かった。だが、うまい具合に谷原章介がこれを下げてくれたのだった。
電車での移動が、一日の大半を占めてしまいそうな日。午前7時から開いている最寄駅のエキナカの本屋さんで、シリーズ第一作『ジョーカー・ゲーム』の文庫版の平積みを見て、即購入。『パラダイス・ロスト』の刊行とあわせて、第一作目が文庫化されたようだ。
作家で元外務省主任分析官の佐藤優に言わせると「柳広司氏は、日本の小説にインテリジェント・ミステリーという新分野を開拓した」のだそうだ。007シリーズやミッション・インポッシブルで見慣れたハードなアクションはほとんどない。むしろ、これと全く反対の、静かに展開するカードゲームのようなストーリー。主人公であるはずの「魔王」結城中佐は、物語の前面にはほとんど現れず、常に背後にいるのもユニークで不気味。
結局、数日のうちに、シリーズ第二作『ダブル・ジョーカー』(2009年)と第三作『パラダイス・ロスト』(2012年)にも手を出し、あっという間に読んでしまった。「インテリジェント・ミステリー」という、何よりも切り口の面白さが受けたものの、事件の謎解きが何となくもたついた感じのあった第一作に比べ、第二作・第三作は仕上がりもまとまりも小気味よく、定番の風格を獲得したといっていい。角川の文芸誌『野生時代』で新たな作品も掲載され始めたようである。果たして、ハードカバーが出版されるまで読むのをガマンできるかどうか。