2013年4月9日火曜日

「あまりのある割り算」一〇〇問プリント


 ここ数日で、新学期が始まったようである。わが家の隣にある小学校は、先日の金曜日から。そして、長女が通う小学校は、週末を経た月曜日から新学期がはじまるらしい。この四月で四年生になる長女も、春休み最終日となった日曜日、残していた宿題を朝からせっせと片付けている(最近の小学校は春休みにも宿題が出るようだ・・・)。
 せっかくの休みでも、家族の一人がこんな感じだと、皆どこかへ出かけるという気分にはならない。わたしも、リビングで新聞などを読んだ後は、何となく書斎に足が向き、机を共用している長女の宿題が気にかかる。長女もそれは多少織り込み済みで、問題につまづくと、書斎の本棚を物色しながら本を立ち読みしている父親に質問を投げかける。まだ、小学四年生程度の問題なら、多少込み入ったものでも、それなりに対応できる。親が子どもたちのする勉強や宿題すべてに対応できるのは、今のうちだけかもしれない。すぐに難しくなる。
 いや、すでに難しくなっている。最近は「百マス計算」なるものが、小学生の定番となり、いまやそれ専用のノートまで売り出されているようで、毎日彼女たちはこれで鍛えられている・・・。彼女の宿題の一つに、三年生で習う「あまりのある割り算」を一〇〇問印刷されたプリントがあった。これを7分の制限時間以内に終えることが目標だという。彼女は、何回やってもなかなか目標には届かない。
 横でハッパをかけるだけでは説得力がないと、わたしもやってみたら、11分をこえてしまう始末。全然、目標どころではない。確かに、昔から計算は遅い。一〇〇問もあると、集中力が途切れる瞬間がある。「これではいかん」と持ち直し、何とか終わりに至る。ただ、7分となると集中力だけではなく、式と数字を見た瞬間の反射的に解答しなければ、かなわないスピードのように思える。長女に聞いたら、同じクラスに7分以内でできる児童が何人もいるのだそうだ。
 確かにすごい。しかし、ここまで長く(!?)生きていると、疑問というか、言い訳が湧き出てくる。たとえば、一〇〇問連続した問題に制限時間を設けて解答しなければならないことが、果たしてその後の人生で課題となることはあるだろうか?と。集中力を養うことは大切だが、別に計算問題以外でもそれを養うことはできる。わたしは、計算力は低いが集中力は人一倍あるつもり。反射神経で問題が解消できるのは、計算問題くらいで、多くの問題はそんな単純ではない。
 かつて、付属校で社会科を教えていたとき、経済学部に進学を希望する女子生徒が「数学に自信が持てず、経済学部に進んで大丈夫か」と心配していた。わたしは、自身の経験から「経済学で必要とされる数学は、たくさんの問題を制限時間以内に解答することではない。数少ない問題だが解き方も定かではない問題を時間無制限で解答するものだ」と答えた。法学部法律学科出身のわたしがかつて経済学論文を仕上げたときの率直な感想だ。彼女は、無事経済学部に進んだ。もちろん、計算の速さも大切だ。だが、わが国の教育は、反射神経頼りの数学好きだけを育てていないだろうか?「あまりのある割り算」一〇〇問プリントをやり終えた疲弊したわたしの頭はこんなことを思い出していた。