2013年8月16日金曜日

【知里真志保『アイヌ語入門---とくに地名研究者のために---』(北海道出版企画センター・1985年)】

 北海道の実家に帰ると、ひまさえあれば天井まであるスチール本棚の前にいる。そして、中学・高校・大学とかつて読んだ本を引っ張り出してはしばし立ち読みに興じる。
 今回は、帰省する前に立ち寄った札幌の本屋さんで、たまたまアイヌ関係の本をいくつか目にし、複数冊購入していたこともあり、実家でもそれが気になって、アイヌ関連の本ばかりを眺めていた。中でも、知里真志保の『アイヌ語入門---とくに地名研究者のために---』(北海道出版企画センター・1985年)は、語学の入門書ではあるが、いま読んでもたいへん面白く、この一冊を今回再び自宅に持ち帰ることにした。
 確か10年ほど前、青山ブックセンターの六本木店で、「著名人の本棚」という企画があり、そこで音楽家の坂本龍一氏がこの本を選んでいたのが出会い。かつて国語の教科書で取り上げられていた知里幸恵の『アイヌ神謡集』の一節「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」というフレーズしか記憶になかったわたしが、アイヌ語やアイヌ、アイヌ文化というものにひきつけられるきっかけになったのがまさにこの本だ。
 知里真志保は、『アイヌ神謡集』の著者の知里幸恵の弟にして言語学者。丁寧かつ厳密なアイヌ語理解から導きだされる解釈は他の追随をよせつけない。確かに本書はやさしい書き出しではあるものの、これまでの先行業績があまりにも杜撰なことから、やがてガマンならずにヒートアップしていく。そのテンションが、語学書らしからぬ異様な面白さを醸し出す。アイヌの人びとのものの考え方とそれに裏付けられた厳密な文法解釈。当時権威とされていたジョン・バチェラーの『アイヌ・英・和辞典』(岩波書店・昭和13年)や永田方正の『北海道蝦夷語地名解』(北海道庁・明治24年)が格好の餌食となり、徹底的に批判される。
 権威に迎合しない知里真志保の学問の真骨頂である。

2013年8月15日木曜日

【「クローズアップ現代詩」『SPUR』2013年9月号】

 柄にもなく『SPUR』といういわゆる「赤文字系」(?)ファッション誌を買ってみた(『SPUR』が真に赤文字系かどうかは中身を知らないので評価はできない)。たまたま眺めていたTwitterで「『SPUR』9月号で荒川洋治が現代詩について語っている!」という書き込みを見たからだ。
 実際、本屋に行って『SPUR』を見ると、表紙にはそんな記事が載っているなんて出ていない。だから、買うときにはちょっと勇気が要ったが、256ページ以下の「クローズアップ現代詩」(タイトルは某公共放送の有名番組を狙ったもの!)という6ページにわたる記事は、「さすが荒川洋治!」と唸らせる柔らかくも硬派な現代詩の紹介となっていた。
 「世間にあふれる、安易な”感動”やお手軽な”癒やし”に、ちょっとうんざりしていませんか?」と何とも挑戦的な一言。現代詩についての素朴な疑問に荒川流の見事なお答え。わずかな紙面にポイントを押さえた解説が加えられている。詩の世界はそれ自体を味わうのがベストであって、解説を加えると得てして野暮になるのだが、荒川洋治の手にかかればそんなことはない。上手い具合に鑑賞の手ほどきをしてくれているし、われわれを上手に詩的な気分へと導いてくれている。
 「うまいなぁ」と思わず感心したのが「どの詩人から読むのがいいの?」という問いへの答え。「親しみやすくて深い詩を知りたい→黒田三郎、辻征夫。ことばに戦慄したい→吉岡実、谷川雁。意識を拡張したい→飯島耕一、伊藤比呂美。人間の極限を知りたい→石原吉郎、井坂洋子。・・・」。ここに現れた全員の詩を読んだ訳ではないが、確かに吉岡実と谷川雁には「戦慄」したし、石原吉郎や井坂洋子には「極限」を感じた。
 「ことばの組み合わせから生まれる、新しい世界」へのごく短い、ささやかな誘い。それにしても、一体誰がこんな企画を持ち込んだのだろう。。。楽しませてもらったけど。。。

【猪木武徳『公智と実学』(慶應義塾大学出版会、2012年)】

 折に触れ、その人がどんなふうにモノを見ているかを参照したくなる知識人がいる。その人の著書を身近においておきたいと思う人がいる。わたしにとって、猪木武徳氏はそんな存在だ。大学学部時代に読んだ『経済思想』(岩波書店、1987年)は、法律学を専攻していたわたしにとってもきわめて有意義な内容で、その後に起こった数多くの困難な問題に直面したときにも、常に振り返り重要な示唆を得ることができる一冊となっている。また、20代のときに、ここで取り上げられた法学・哲学・経済学等の古典をしらみつぶしに取り組んだことが、自らの市場観、資本主義観を育むことにつながったように思う。その後に刊行された書き下ろしの『戦後世界経済史---自由と平等の視点から』(中央公論新社、2009年)や『自由と秩序---競争社会の二つの顔』(中央公論新社、2001年)や、エッセイなどをまとめた『デモクラシーと市場の論理』(東洋経済新報社、1997年)も、共感するところが多く、いまもなおしばしば読み返す。
 去年刊行された『公智と実学』(慶應義塾大学出版会、2012年)は、数多い猪木氏の著作の中でもちょっとユニークな一冊である。前半は、新聞紙上などで公表された時論をまとめ、後半は講演録で関係諸誌に掲載されたものを収録している。一見するとそれだけかと思いきや、ここで取り上げられているのは、いずれも福澤諭吉の思想に触れたものばかり。『学問のすすめ』や『文明論之概略』など主要な著書が取り上げられ、猪木氏の読みが示される。
 本書のタイトル『公智と実学』の「公智」とは、「人事の軽重大小を分別し、何を優先すべきか時と場所とを察しつつ判断する働き」のことで、「物の理を究めてこれに応ずる働き」である「私智」とは区別される。「私智」とは、福澤先生に言わせれば「工夫の小智」であり、学校で習うような知識、すなわち受験勉強のようなもの。しかし、文明にとって真に大切なのは、大局的な価値判断能力(もちろん、「工夫の小智」に裏付けられた)。福澤先生が言うところの「聡明の大智」(=公智)。福澤の思想はしばしば「私」の思想と捉えられがちだが、じつは「公(パブリック)」を意識した思考の体系であることが猪木氏の語りによって明らかにされる。
 猪木先生の良さは、経済問題などの社会的な問題に対する分析には「実学」、つまり「サイエンス(科学)」の方法をもってし、その価値判断の基底には浩瀚な人文学的教養(ヒューマニティーズ)を有していることである。きっと、このことが単なる有識者・学識経験者にとどまらない、その領分をはるかに凌駕した知識人とみられる所以なのだと思う。

【『政治わが道---藤山愛一郎回想録』(朝日新聞社、1976年)】

 新橋駅のSL広場で折に触れ開催される古書市。わざわざ出かける必要がないので、いまでは神田の古書街よりもよっぽど身近な存在である。先日そこをブラついていて偶然見つけたのがこの本『政治わが道---藤山愛一郎回想録』。藤山さんの最後の著作で、確かに、この本の中でもご本人自ら「この『回想録』をもって、もうあまり過去は語らないことにしようかとも思っている」と書いている。
 本書は、内容的には先の『私の履歴書』の続編。財界人を「卒業」し、政界に移った後の回想録である。岸信介の盟友として懇願され、財界から政界への華麗なる転身。外務大臣として取り組んだ安保改定とそれに先立つ外交交渉の緊張感。三度にわたる総裁選への挑戦と政治力学に翻弄され、影響力を徐々に失っていく藤山派の落日。失意を跳ね返すように取り組んだ日中友好。
 「事実は小説よりも奇なり」というが、藤山さんの人生こそ、それに相応しい。
 財界人のときは、20社以上の社長を務め、政界に入ってみると収入は20分の1になっていたという。自ら率いていた企業グループの株式や集めていた絵画の数々、白金にあった土地や邸宅などを派閥維持のために投じ、政界を引退するときには私財はほとんど残っていなかった。そんな自らを評し「絹のハンケチも泥にまみれたよ」と言ってのける、見事な「井戸塀」ぶり。
 玄人筋からいえば、本書の記述が、踏み込みが足りないとか、もう一つの裏面があったのでは?と思わせる点もないわけではないようだ。だが、本書は、きっと藤山さんの率直な感想を綴ったものであり、その見たまま、感じたままを記したものなのだろうと思う。藤山さんは、そんな打算などとは無縁の人だった。もし、打算的に行動し、人の裏読みに長けた人ならば、このような散財を自ら買ってはしないはずだからである。