2012年12月17日月曜日

【荒川洋治『詩とことば』(岩波現代文庫、2012年)】


 今年6月の刊行と同時に買ったきり、読まずに積んでおいた本を、この週末「読み返す」ことができた。新刊なのに「読み返す」と言うのはいかにも変な感じだが、それは、この本が今から8年前にすでに発売され、そのとき読んでいた本だから。もちろん、作者も書名も同じ。荒川洋治『詩とことば』。
 かつて「ことばのために」と題されたシリーズ(叢書)の一冊として書き下ろされたもので、荒川洋治をはじめ、加藤典洋や関川夏央、高橋源一郎、平田オリザが、それぞれの立場から、詩のみならず、演劇、物語、小説、批評と「ことば」について一冊ずつ、おのおの自由に書き尽くすという企画。
 当時、このシリーズのいくつかを読んでみたが、一番楽しんで読めたのが、荒川洋治のこの一冊。だから、また「同じ本」を買ってしまったのである。たぶん、この人の作品の読み方、接し方が気に入っているのだと思う。「思いつき」のようで、けっして体系的とはいえない記述。だが、流れの中で、縦横無尽に、作品を論じるのが巧い。見事なアンソロジーではあるが、それにとどまらない。あたかも、ご本人が作品を手に取りながら話している、そのそばで聞いているような気分になる。
 荒川洋治は、作品を「掘り出す」名人でもある。今となってはすっかり忘れられ、読まれなくなってしまった人に脚光を浴びせる。そのたびに、読書欲を駆り立てられる。旧刊から8年の間にも、彼の思考は進んでいた。だから、新刊のこの本は実は「同じ本」ではなかった。いくつかの箇所で、書き下ろしのエッセーが紛れ込む。その中には、いつものように彼によって掘り出された人がある、作品がある。今次の大震災を契機とした「ことば」の状況への危惧も示されている。
 しかし、紛れ込んだどの部分も、まるで前からあったかのような顔をしている。これが荒川洋治の巧さである。